DISH//のボーカリストで俳優の北村匠海(きたむら たくみ)さん。
演技力に定評があり、多彩な顔をもつ北村匠海さんのプライベートが気になりませんか?
この記事では、北村匠海さんの生い立ちを深掘りしてお伝えしていきましょう!
北村匠海の生い立ち・8歳で芸能界入り

北村匠海さんは8歳の時にスカウトされて芸能界入り
幼い頃は、髪が長くて女の子のような外見だったこともあり街中でスカウトされることが何度もあった、と明かしています。
顔の印象も現在とは違って濃い顔ではなかったんだそう。
当時は練馬区に住んでいた北村匠海さんが、スカウトされた場所は明らかにされていません。

北村匠海がスカウトされたのは一つや二つではなかったみたいよ
いくつかスカウトされた事務所の一つに『スターダストプロモーション』があり、両親の薦めで事務所の面接に行くことになった北村匠海さん。
子供の頃に「スターダストプロモーション」に入ることで、礼儀作法を学ぶことができるのでは?と両親は考えたんだそう。
面接で一言も話さなかった
小学校では明るく元気があった北村匠海さんですが、事務所のオーディションでは一言も話さなかったんだそう。
いくつも質問されても何も答えず、うなずくこともしなかったと明かしています。

わずか8歳で大人と面接すること自体がすごいことよね
事務所の面接で実家の住所の部屋番号を伝えてしまうほど緊張していた北村匠海さん。
カチコチで面接に臨んだ北村匠海さんですが、事務所の面接をパスして芸能界入りしたのは8歳の時。
その当時から事務所は北村匠海さんの光る才能を見出していたのでしょう。
北村匠海の生い立ち・中学時代は暗黒期だった
武道館でもお知らせしたDHCさんのS賞(武道館で着ていたツナギとお揃い!アルバム衣装のスペイシーな白つなぎっす!)にサイン書き書き…これはレア過ぎる…皆様是非応募してくださいね!! pic.twitter.com/UeCl33uMl1
— ♚北村匠海♚ (@kitamura_takumi) January 13, 2015
北村匠海さんは小学4年生の時に「HONDAミニバン』のCM出演が決まり、俳優としてデビューしました。
中学生になるとRADWIMPSのMVに出演したことがきっかけで、芸能界での活動が徐々に話題になるように。
小学生時代はサッカー少年
北村匠海さんは小学生の時、サッカー少年で運動神経が抜群でした。
リレーではアンカーも務め、目立つ存在だったことは間違いありません。

小学6年生の時にモテ期のピークだったらしいわよ
スポーツが得意で可愛い顔した北村匠海さん、芸能界デビューもしていて注目度が高かったんですね。
なぜ中学が暗黒期だった?
北村匠海さんは自身の中学時代を「暗黒期」と呼んでいます。
その理由は、
・アットホームだった小学校を卒業して、別の環境になり孤独だった
・ネットや学校の裏掲示板でのコメントでメンタル不安定に
中2の時にドラマ出演して学校に行けず、所属していたバスケ部も3年間一度も試合に出られず。

有名人になった北村匠海さんを試合に出すことはできないってコーチからの言葉があったそうよ。
中学生活を満喫できずに、ファンが集まって騒ぎになることを考慮してバスケの試合にも出場できなかった北村匠海さん。
クラスに馴染むことができず「暗黒期」を過ごしていていて、青春時代を楽しむといった状況ではなかったようですよね。
「暗黒期」と明かす北村匠海さんですが、中学時代のモテエピソードを明かしていて、
「中学校の卒業式は…ボタン全部なくなりました。袖口のボタンもYシャツのボタンも。第2ボタンだけはポッケに入れて持ってたんですけど。欲しいって言われたら、なんか断れない気がして。」
引用元:https://ananweb.jp/
と、第2ボタン以外は女子に全て持っていかれるほど人気だったんですね。
高校時代に教師の代わりで教えてた
北村匠海さんは、歴史が得意でテスト前にクラスメートに歴史を教える「臨時教師」をしていました。
教えることで深く歴史の知識が定着するので、率先して行なっていたんだそう。
アウトプットすることで知識が定着し、テスト勉強の時間短縮にも効果的だったんでしょう。
学生生活と俳優業で多忙を極めていたのに、自身を見失うことなく俳優としてのキャリアをつみ上げていっていたんですね!
まとめ
北村匠海さんの生い立ちをまとめると、
・8歳でスカウト
・9歳でCMデビュー
・小学生の時が1番のモテ期
・中学生は暗黒期
ということがわかりました。
俳優業以外にもバンド活動も精力的に行なっている北村匠海さん。
これからも多彩なアーティスト活動を応援していきましょう!