演出家、映画監督、音楽家として活躍しマルチな才能を持っているケラリーノサンドロヴィッチさん。
そもそもケラリーノサンドロヴィッチさんが何者なのか知らない方も少なくないでしょう。
そこで、この記事ではケラリーノサンドロヴィッチさんの生い立ちや父親について調査していきましょう!
ケラリーノサンドロヴィッチの生い立ち・父親はジャズミュージシャン
ケラリーノサンドロヴィッチさんの父親はジャズミュージシャン。
ウッドベースを担当していた方です。
@yagiyasuo父は小林巽(たつみ)と言いますが、名前を言ってもわかる方はまずいないかと。晩年の何年間かは「ジミー原田とオールドボーイズ」に在籍しておりましたが、オールドボーイズはオールドな為に各パート何人かずついて、最年少だった父は、半ばトラでした。
— ケラリーノ・サンドロヴィッチ (@kerasand) September 28, 2010
幼い頃からコメディアンとして活躍する由利徹さんや、森川信さんなどが近くにいたんです。
父親がミュージシャンでありながら、演劇の世界に興味を持ったのは魅力的な大人たちが周りにいた影響が大きいのでしょうか?
そもそも、ケラリーノサンドロヴィッチさんの名前の由来が気になりますよね。
本名は?
ケラリーノサンドロヴィッチさんの本名は小林一三(こばやし かずみ)さん。
ケラリーノサンドロヴィッチという珍しい芸名の由来は
と明かしていました。
劇団を立ち上げる時に、ひとまずのつもりで名前を当てがったのがそのまま現在まで続いているんです。
そんなケラリーノサンドロヴィッチさんの幼少期の家族構成を見てみましょう。
家族構成は?
ケラリーノサンドロヴィッチさんの家族は、
・父親
・母親
・ケラリーノサンドロヴィッチさん
で、意外にも一人っ子だったんですね。
幼少期は体が弱かった
ケラリーノサンドロヴィッチさんの幼少期は、小児ぜんそくで体の弱い子だったそう。
2日に1日は寝たきりの状態で、
「とにかく息が入ってこないから、ひたすら苦しかったという記憶しかない。毎週通院して、お尻に大きな注射を打たれて。1歳の時には医者から『この子はそれほど長くは持たないだろう』と言われていたみたい」
引用元:https://meetia.net/interview/
と明かしていました。
幼い頃のケラリーノサンドロヴィッチさんの写真は、たまに元気な姿を見せた時にシャッターを切った両親の愛があったそう。
小学高学年で映画通い
大学生に人気だったバスター・キートンの映画のネガが見つかって全作品が公開されて、夏休みは1日中映画館で過ごしたそう。
小学5、6年生の頃にお昼も食べずに映画館に入り浸っていたケラリーノサンドロヴィッチさん。
映画好きのケラリーノサンドロヴィッチさんは、中学生になると父親の貯金200万円をおろして外国から無声映画のフィルムを購入。
場所を借りて上映会も主催していたんだそう。
劇団を率いる行動力や才能、、演劇にかける情熱はこの頃から培われていたんですね。
ケラリーノサンドロヴィッチ・母親と中1で別居
出典元:https://natalie.mu/owarai/
ケラリーノサンドロヴィッチさんが中学1年生の時に母親は家を出ていき、父親と2人暮らしが始まったんです。
ケラリーノサンドロヴィッチさんの実家の思い出は、あまり良いものではなくて「両親がケンカしている」イメージしかなかったそうです。
10代の多感な時期に母親が不在で、年に数回の電話で近況を話す関係。
母親との関係は続いていましたが「捨てられた感」があり、母親が亡くなる直前まで許せない思いを抱いていたケラリーノサンドロヴィッチさん。
Xにこんな投稿をしていたこともありました。
母の日か。母と共に暮らしていたのは中学一年までで、俺はジャズを貫き通そうとしていた父親を擁護したいが為、それに反対していた母を咎める気持ちになることが多かったが、もちろん優しい時もあった。たまには母のことを思い出そう。
— ケラリーノ・サンドロヴィッチ (@kerasand) May 12, 2013
母親の記憶はあまりないと明かしているケラリーノサンドロヴィッチさんですが、レコードの最初の記憶は『ブルーライト・ヨコハマ』で、聞いてたレコードがいきなり止まったそう。
少ない思い出だからこそ鮮烈に思い出せる光景もあるのかもしれません。
まとめ
ケラリーノサンドロヴィッチさんの生い立ちをまとめると、
・本名は小林一三(こばやし かずみ)
・父親はジャズのウッドベース演奏者
・両親は中1で離婚
・幼少期は小児ぜんそくで体が弱かった
ということがわかりました。
意外にも大変な生い立ちを知ることで、ケラリーノサンドロヴィッチさんを身近に感じることができますよね。