大竹しのぶさんといえば、芸能界での活動が長く誰もが知る女優さんですよね。
そんな大竹しのぶさんですが、あまり知られていないのが「生い立ち」ではないでしょうか?
そこで、この記事では大竹しのぶさんの生い立ちや実家が貧しかった噂に迫っていきたいと思います。
【生い立ち】大竹しのぶの実家
大竹しのぶさんの出身地は「東京都品川区西大井」です。
品川区というと都内でも交通の便の良い地域で、極貧生活のイメージとはほど遠いですよね。
実は、大竹しのぶさんは父親が体調を崩したことを理由に、小学校から中学2年生まで埼玉県で過ごしています。
都心から秩父の山々が見える
大竹しのぶさんの学生時代は、テレビや冷蔵庫なしの極貧生活だったんです。
家族構成は?
大竹しのぶの家族構成は、
父親:章雄
母親:江すてる
姉:すなほ
姉:真理
兄:情報なし
大竹しのぶ
妹:情報なし
で、5人兄弟で賑やかな家庭に育っていた大竹しのぶさん一家。
子供が多く父親の体調が悪いというだけでも、大竹しのぶさんが大変な生い立ちだったことは想像できますね。
では、詳しく見ていきましょう!
【生い立ち】大竹しのぶの父親の病気はなに?
父親の病気は結核
元々は東京電力の社員だった大竹しのぶさんの父親・章雄さんのため、空気の良い埼玉県毛呂山町に一家で移住したんです。
埼玉県に引っ越したあとは、体調が回復した父親・章雄さんは高校で数学と倫理の教師になり家族を支えていました。
物置で暮らしていた
昭和42年に父親・章雄さんの結核が悪くなり入院して母親の江すてるさんが一家を養う立場に。
・パン屋
・家政婦
・子守
など、幾つもの仕事を掛け持ちしながら生活を支えていた母・江すてるさん。
5人の子供を育てるには十分な稼ぎではなく、
二間続きだったそうですが、木造の物置での生活は寒さや暑さをしのぐのは大変だったことでしょう。
給食費を払えなかった
大竹しのぶさんは学級委員をしていた時に、クラスで「給食費を忘れないでください」と声掛けする立場でした。
ところが、払うお金がない大竹しのぶさんはいつも持っていけなかったんです。
大竹しのぶさんは、その当時のことを、
「幼い頃、家族7人で囲んだ食卓での日々を、今でも鮮明に覚えている。高校の教師をしていた父・章雄(ふみお)さんは病気がちで、生活は貧しかった。」
テレビのない生活だったので「本を読むように」と言われて育った大竹しのぶさん。
食卓を囲みながら父親・章雄さんが政治情勢からクラシック、自然についてなどジャンルを超えて語ってくれたんです。
大竹しのぶさんの生い立ちはテレビや冷蔵庫なしの極貧生活でしたが、父親を通して豊かな教育を受け、現在の活躍に大きな影響を与えているんでしょう。
父親が回復して退院
60歳近くで父親・章雄さんが退院
父親が退院したものの、60歳になる父親に仕事はありませんでした。
溶接工場やペンキ塗りなどの肉体労働をした父親・章雄さんですが、技術なく稼ぐことが難しかったんです。
父親・章雄さんの体調が良くなっても貧乏暮らしは続いていた大竹しのぶさんの実家。
「東京に行けば仕事がある」と一家で東京に戻る決意をしました。
東京に戻った大竹しのぶさんの両親は
と、共働きで子供たちを育てあげたんですね。
昭和50年に大竹しのぶさんは18歳でデビュー。
父親・章雄さんは晩年は胃がんに侵され、病室で大竹しのぶさんが出ているドラマは欠かさず観ていたようです。
まとめ
大竹しのぶさんの生い立ちについてまとめると、
・父親が結核を患い、働くことができず、貧乏な家庭に育っていた
・木造の物置に住んでいた
・給食費が払えなかった
・母親が一家を支える時期が長かった
ということがわかりました。
「貧乏でも幸せ」がモットーの家庭に育った大竹しのぶさんは、物理的には貧しい暮らしだったかもしれませんが、幸せだったと語っています。