俳優の柳葉敏郎(やなぎば としろう)さんは秋田県出身で、現在は秋田と東京を行き来しながら仕事をしています。
数々の話題のドラマに出演し、俳優のキャリアを積んでいる柳葉敏郎さん。
幼少期は祖母に育てられていた柳葉敏郎さんの生い立ちについて、この記事でまとめてお伝えしていきましょう!
柳葉敏郎の生い立ち・母子家庭育ちで家族構成は?
出典元:https://news.yahoo.co.jp/
柳葉敏郎さんは秋田県仙北群刈和野で生まれ育ちました。
父親は映画館の看板を描く絵師、母親は小学校の教師のもとで育った柳葉敏郎さん。
柳葉敏郎さんには妹がいて4人家族で暮らしていました。
柳葉敏郎さんの父親は、生活費を家に入れず離婚を決意した母親は2人の子供を連れて実家に戻ります。
母親は、実家の弟夫婦と祖母に柳葉敏郎さんと妹の2人を預けて仕事中心の日々を送っていたんだそう。
父親は8歳で他界
柳葉敏郎さんの父親は38歳の若さで脳出血を発症し逝去されています。
母親が柳葉敏郎さん達を連れて、別居、離婚してからわずか3年のことです。
柳葉敏郎さんの幼少期は両親と過ごす時間が少なかったことがわかります。
婆ちゃん子だった
柳葉敏郎さんが芸能界デビューを目指して上京することを決意したとき、母親は反対したんだそう。
母親の反対を押し除けて応援してくれたのは柳葉敏郎さんの祖母で「ばあちゃんが背中を押してくれた」と明かしています。
東京に行く時に祖母からかけられた言葉が大きな支えになっていて、
「もともとばあちゃん子っていうのもあったんですけど、ありがたい言葉だったですね」
引用元:https://www.sponichi.co.jp/
と、明かしています。
一世風靡セピアで芸能界デビューし、地元で凱旋コンサートができたことで祖母孝行ができたんだそう。

複雑な幼少期だけど愛されていたことがわかるわよね
柳葉敏郎の生い立ち・59歳のときに異母姉がいたことが判明
柳葉敏郎さんは59歳の時にNHK『ファミリーヒストリー』に出演し、文字通り柳葉敏郎さん家族の歴史を探って行ったところ、
父親に結婚歴があり、異母姉の存在が判明
したんです。
父親は若くして亡くなり、柳葉敏郎さんも幼かったので異母姉のことを聞く機会がなかったのでしょう。
柳葉敏郎さんの母親も、元旦那がバツイチとは知らずに結婚していたのでしょうか?
いずれにしても、番組を通して異母姉の存在を知り再会することになった柳葉敏郎さん。
柳葉敏郎さんの父親は破天荒な男性だったんですね。
異母姉も父親について知りたいと探したけれど見つからず、番組を通して初めて知ったことがあったんだそう。
芸能界デビューまでの道のり
柳葉敏郎さんは高校卒業後、地元の予備校に通っていましたが全く勉強せずに、出席率も予備校最低だったそう。
このままじゃヤバいという焦りから、地元で行われた
そのオーディションで「歌を甘く見ている」と、作曲家の中村泰士さんに言われたことがきっかけで芸能界入り目指して上京を決意。

劇団ひまわりのオーディションに合格して芸能界入りしたんですって!意外!
地元に友人にカンパしてもらって上京、1980年にフジ系ドラマ『ひまわり戦争』で俳優デビューをしています。
上京して「劇団ひまわり」に入団した後で、路上パフォーマンス集団『劇男零心会』のメンバーに加入。
メンバーを変えて「一世風靡セピア」を結成し、歌手デビューを果たしています。

俳優の相川翔さんもメンバーだったのよね
「踊る大捜査線」をはじめ俳優のキャリアを積み上げてシリーズ化された代表作もある柳葉敏郎さん。
渋さが増した柳葉敏郎さんの今後の活躍に期待して応援していきましょう!
まとめ
柳葉敏郎さんの生い立ちをまとめると、
・5歳で両親が離婚
・妹と祖母に育てられた
・父親は8歳の時に他界
・59歳のときに異母姉がいることが判明した
ということがわかりました。
柳葉敏郎さんの生い立ちを知ると、その人により興味がわいて応援したくなりますよね!