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【大森元貴の生い立ち】音楽制作は小6から!不登校のきっかけはなぜ?

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Mrs.Green Appleのボーカリストでカリスマ的な歌唱力を持つ大森元貴さん。

大森元貴さんの音楽センスはいつからだったのでしょうか?

両親の職業や、育った環境が大きな影響を及ぼしていることはよくありますが、父親も母親も音楽関係の職業ではないようです。

・幼い頃の習い事は空手
・大森元貴さんが音楽を始めたのは小学6年生の時から
・中学で不登校になった

大森元貴さんの生い立ちを本文で詳しく見ていきましょう。

目次

大森元貴の生い立ち・音楽制作は小6から

大森元貴さんの両親は音楽関係に従事していません。

ですが、音楽好きな家族からの影響を大きく受けていたようです。

音楽制作は小学6年生から

大森元貴さんが音楽に興味を持ち始めたのは、音楽好きの家族の影響が大きかったようです。

小学6年生のときにベースを購入して、音楽制作をし始めた大森元貴さん。

同級生や先生とバンド『1733(ワンセブンダブルスリー)』を結成

その頃の将来の夢は「ミュージシャンになること」を卒業文集に書いています。

コーヒー赤

先生を誘ってバンドを組むってすごい行動力よね

家族構成は?

大森元貴さんの家族構成は、

・父親
・母親
・長男:14歳年上
・次男:7歳年上
・大森元貴さん

大森元貴さんの父親は学生時代にドラム演奏していて、次男はベースを弾いていました。

2人の兄とは年齢が大きく離れていたこともあり、幼い頃から音楽は身近にあったのでしょう。

大森元貴さんは次兄のベースを借りてわずか4ヶ月でマスターして、その後購入。

あっという間にベースを弾けるようになったことで、音楽の道が開かれたんですね。

大森元貴さんはお兄さんの影響で幼い頃からMONGOL800(モンパチ)をよく聴いていたそう。

習い事は空手

大森元貴さんが中学でギターの若井滉斗さんに出会う前に、空手教室が一緒だったことを明かしています。

大森元貴さんがどのくらい空手教室に通ったのかは不明ですが、黒帯の若井滉斗さんが「大会の写真に写っている」と明かしています。

コーヒー

大森元貴さんって実は、楽譜を書けないし読めないのよね

もしもピアノを習っていたなら指を痛める可能性のある空手を習うことはないでしょう。

大森元貴さんの幼少期は音楽に触れる習い事をせず、あれほどの才能を持っているのが素晴らしいですね。

大森元貴の生い立ち・不登校きっかけは音楽制作?

大森元貴さんは中学時代に不登校になったことがあります。

その期間は、

14歳〜15歳の頃

音楽制作に夢中になり中2から中3までの間、学校に行かず家に引きこもっていた大森元貴さん。

その頃は毎日曲を作って「学校に通う暇がなかった」と明かしています。

そんな大森元貴さんを近くで見守った母親は無理やり学校に行かせようとはしなかったそう。

お兄さんは学校に通わなかった大森元貴さんを心配して鉄拳を喰らわしたことがあったと「A-Studio」出演の時に明かしています。

不登校時代について、

『僕はけっこう自分の武勇伝みたいな形で「曲を作るのに明け暮れちゃって、学校に行くっていう発想にならなかったんですよ」といろんなメディアで語っていますが、今だから言えるけど「学校に行く発想になれ!」って思っています』
引用元:https://audee.jp/news/show/130844

と明かしています。

それでも「何かに夢中になれること」が持てる青春時代があるのは素晴らしいですよね!

大森元貴さんは、家族の理解を得るために楽曲制作を続けてライブのステージに立って家族の理解を得てきたそう。

カリスマ的なミュージシャンを作り上げたのは、大森元貴さんの家族の理解も大きかったことは間違いないでしょう。

まとめ

大森元貴さんの生い立ちをまとめると、

・音楽好きの家族の影響が大きい
・幼少期の習い事は空手
・ベースを弾き始めたのは小学6年生
・楽曲制作を本格的に始めたのは中学生
・曲作りのために中学2年生〜3年生まで不登校

ということがわかりました。

楽譜の読み書きができない意外な一面も見えて、大森元貴さんの魅力がまたひとつ見つかりましたね。

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