大人気ドラマ『ブラックペアン』など、話題のドラマや映画に欠かせない俳優・内野聖陽(うちの せいよう)さん。
あまりバラエティ番組に出演する機会が少なく、内野聖陽さんの素顔に触れる機会が少ないですよね。
そこで、この記事では内野聖陽さんのルーツである父親について調査してお伝えしていきましょう!
内野聖陽の父親は住職でお寺はどこ?
内野聖陽さんの父親は住職で実家のお寺は、
横浜にある雲松院(うんしょういん)
で戦国時代から続く歴史あるお寺です。
横浜の小机駅から徒歩2分というアクセスしやすい場所にある雲松院。
詳しい情報はこちら↓
・創建:1525年
・住所:神奈川県横浜市港北区小机町1451
創建されてから500年以上の歴史あるお寺の住職が、内野聖陽さんの父親だったんですね。
内野聖陽は父親の跡を継がずに絶縁されていた?
父親が亡くなったのは内野聖陽さんが30代の頃。
内野聖陽さんの兄弟は姉2人で、一人息子の長男ですからお寺を継ぐ立場だったはずです。
では、内野聖陽さんが俳優として活躍するまでを時系列で見ていきましょう。
俳優の道への決意は大学生
そもそも演劇を始めるきっかけになったのは、ESS(英語会)のサークルで、英語劇で舞台に立ったことでした。
「僕は根っからの引っ込み思案で、人前に立って何かを表現するなんて全くできない人間だったんですけれども、それで目覚めた感じがあります。」
サークル活動にハマりすぎて、留年した内野聖陽さんが先輩に誘われて入ったのが文学座研究所。
文学座研究所の同期には寺島しのぶさんもいたそうで、レベルの高い演劇集団だったことがわかります。
内野聖陽さんは、そこで芝居をする楽しみを知り、俳優への道に進むことを決意したいます。
実家と絶縁
内野聖陽さんは、幼い頃から父親に厳しく育てられていて、住職の跡取りとして期待されていました。
唯一の跡取り息子だった内野聖陽さんには、父親の思いも格別。
そんな、父親の思いを知りながらも俳優への夢を追うために活動し始めた内野聖陽さん。
1995年から俳優として本格的に活動し始め、翌年には『第6回日本映画評論家大賞:新人賞』を受賞しています。
その後も、毎年のように受賞され役者としての手応えを感じていた矢先に父親の訃報。
俳優の道を選び、2002年に父親が亡くなった葬儀の場で「住職を継がない」と宣言した内野聖陽さん。
旦那を亡くし内野聖陽さんが俳優の道を選択したことで、母親と絶縁状態に。
その当時の心のうちを、
「父には、僕が想像を絶する以上の絶望感を与えてしまったと思っています。自分が役者になったことで、父をはじめ多くの人たちを裏切ってしまったという気持ちはあります。」
引用元:https://jisin.jp
と、後悔の気持ちすらある内野聖陽さん。
では、現在の雲松院は一体誰が継いでいるのでしょうか?
実家のお寺は誰が継いでる?
叔父さんが継いでいる
現在は、内野聖陽さんの父親の弟が雲松院の住職をしています。
叔父さんが住職を引き継ぐことになったことで、母親はお寺を出ることに。
内野聖陽さんと母親の関係性は、その後もしばらくの間は改善せずにいましたが、
現在は、内野聖陽さんの家から車で2~3分ほどの距離に住み、定期的に様子を見るなど良い関係になっています。
役者の道に進んだことで、実家と疎遠になった内野聖陽さんですが、俳優の功績は素晴らしいですよね。
まとめ
内野聖陽さんの父親や実家についてまとめると、
・父親は住職
・実家は横浜にある寺『雲松院』
・500年以上続く歴史ある寺
・実家と10年以上絶縁状態
ということがわかりました。
内野聖陽さんは、相当な覚悟を持って俳優への道に進まれたことがわかりますね!