芸能界のモテ男として有名なバイキング小峠英二(ことうげ えいじ)さん。
小峠英二さんはプライベートについてあまり語ることがなく、その生い立ちはあまり知られていません。
そこで、この記事では小峠英二さんがどんな生い立ちなのか調査して
お伝えしていきましょう!
小峠の生い立ち・最初のツッコミは10歳
小峠英二さんが生まれ育ったのは福岡県田川という地域、周りは田んぼばかりで、のどかな田舎町。
実家は団地住まいで家族構成は、
・父親:配管工
・母親:看護師
・兄
・本人
・弟
の5人家族。
両親は共働きだったので鍵っ子だった小峠英二さんは、小学生の頃からお笑い芸人に憧れていたんです。
最初のツッコミは10歳の時
小学校で女子を中心に流行っていたコックリさん。
教室の窓が真冬にもかかわらず全開になっていたので、小峠英二さんが寒くて窓を閉めたところ、クラスの女子に
「やめて!コックリさんが挟まる!」
と言われたので、それを聞いた小峠英二さんが、
挟まるか!
と、ツッコミ。
小峠英二さんにとって人生初のツッコミだったそうです。
このころから高速ツッコミが冴えていたんですね!
中学時代は野球少年
小峠英二さんは中学時代の3年間、野球部に所属しています。

3年間補欠だったそうよ。退部せずに在籍したのがすごいわよね
3年生の最後の夏の公式戦で、代打で初めて打席に立つことができた小峠英二さん。
最初で最後の打席は1球目で顔にデッドボールでの出塁だったんだそう。

忘れられない打席になったことに間違いないわよね
悲劇は最初のデッドボールだけでなく、一塁でリードを取っていたところに牽制球が飛んできて、反対側の顔面に当たったんです。
そんな苦い経験があり、芸人になった後の企画『外野フライ捕ろうぜ!』に出演した時、野球嫌いを公言していました。
小峠の生い立ち・芸人を目指したのは高校生
小峠英二さんが住んでいた地域はヤンキーが多く、暴走族が週末になると集まって騒ぐなどわんぱくだったんだそう。
高校時代に5回くらい停学になった小峠英二さんは、ヤンキーだったわけではありません。

小峠英二さんはバンドに夢中になっていて、ヤンキーはダサいと思っていたんですって
小峠英二さんが停学になった理由は、
と、ヤンチャしていたわけではなく、高校に入ったら学校をサボってみたい願望があったんだそう。
高校2年生にテレビ出演
小峠英二さんは高校2年生の夏休みに2か月間上京
バイトしながら野宿しながら、初めての東京生活を過ごしたんです。
その2ヶ月の夏休みの間に「笑っていいとも!」の素人参加コーナーに友達と一緒に出演。
一発芸を披露したことがきっかけで、芸人への熱い思いが湧き上がってきたんです。
高校辞めて芸人になりたい
と、福岡に帰った小峠英二さんは両親に伝えると、もちろん反対され「休学なら」と仕方なくOKされたんです。
結局、高校を退学せずに籍だけおいて休学した小峠英二さん。
芸人になりたい気持ちは揺らがなかったものの、面接の結果は不合格。
両親との約束を守るために、一旦は福岡に戻り高校2年生をもう一度やり直したんです。
高校3年生で相方との出会い
大分の自動車免許の合宿で相方・西村瑞樹さんに最初の出会い
その時は言葉を交わさずに別れたそうですが、小峠英二さんと相方・西村瑞樹さんは大阪吉本の面接で再会します。
600人近い応募者の中で相方・西村瑞稀さんと同じグループになったそうですが、その時は連絡先を交換せず。

養成所に受かったメンバーに相方・西村瑞樹さんの姿をみつけて小峠英二さんからコンビを提案したんですって
コンビ結成は1996年。
養成所を卒業して4年間は大阪で活動、その後は東京の調布に住みながら売れるためにチャンスを狙いながらバイト三昧の日々。
2012年に『キングオブコント』で優勝した後は、バラエティ番組などで見ない日がないほど活躍していますよね。
まとめ
小峠英二さんの生い立ちについてまとめると、
・芸人への夢が芽生えたのは小学生の時
・中学生は野球部に所属しながら3年間補欠
・高校2年生で芸人への思いが強くなり休学して吉本を受けるが不合格
・1年留年して卒業後に吉本の養成所に合格してバイキング結成
ということがわかりました。
小峠英二さんは2025年6月20日に一般人女性と結婚を発表され、さらなる今後の活躍も期待されますよね
注目して応援していきましょう!