数々の話題のドラマに出演し、存在感を放っている女優・平岩紙(ひらいわ かみ)さん。
平岩紙さんが出演するドラマはハズレなしとファンも多くいますよね。
そんな平岩紙さんが女優になるまでの生い立ちについて、この記事ではまとめてお伝えしていきましょう!
平岩紙の生い立ち・幼少期の一人遊びがヤバい
平岩紙さんは、幼少期の頃から想像力が豊かで一人遊びの内容がヤバすぎなんです。
その一部をご紹介すると、
・水筒のお茶を飲んで酔っ払うフリ
・帰り道にヘリコプターの音に反応して犯人役で逃げ回った
そんな平岩紙さんの様子は、おそらく妄想癖のあるヤバい奴だったかもしれませんよね。
ところがクラスではおとなしく目立つ存在ではなかった平岩紙さん。
幼少期から習っていたピアノも人前で演奏することが苦手でやめてしまうほどでした。
家族構成は?
幼少期から一人遊びをしていた平岩紙さんは、兄弟がいない一人っ子だったのでしょうか?
家族構成を調査すると、
・父親
・母親
・姉
・本人
の4人家族であることがわかりました。
平岩紙さんは10代の頃から父親の服をシェアしているほど仲良し。
「10代の頃から『おじさんみたいな服』が好きで、父親と服をシェアし、メンズの大きなニットをワンピース風に着ていたこともある」
引用元:https://www.biteki.com/
とインタビューで明かしていて、思春期の女の子と父親との距離感と思えない仲良しエピソードですよね。
クラスで仲間外れにされた
平岩紙さんは、一人で空想することが好きだったこともあり、女子で群れることに興味がなかったんだそうです。

登校したら平岩紙以外の女子はみんなが同じ色のゴムで同じ髪型をしていたことがあったそうよ。
普通なら自分だけ仲間はずれにされたと落ち込むところですが、平岩紙さんは
学校だけが世界の全てだとは思わなかった
と思って、特に動揺することはなかったんです。
平岩紙の生い立ち・高3で女優を決意
幼少期から女優へのベース作りをしてきた平岩紙さん。
そんな平岩紙さんが女優への道に進むことを決めた経緯はどのような感じだったのでしょうか?
女優になる決意は高校3年生
高校生になっても『一人テレフォンショッキング』のタモリさんやいいとも青年隊、ゲストを再現して遊んでいた平岩紙さん。
やりたいことも特に見つからず、高校3年生の3者面談の前の晩に『女優になることを決めた』そう。
ただ、簡単に決めたわけではなく最初や音大へ進むことやカメラマンの道も選択肢にはありました。
平岩紙さんは、ピアノの試験がネックで音大を諦め、デッサンがあるからカメラマンを諦め、残ったのが女優への道だったんです。

意外にも消去法だったのね
幼少期から遊びの延長で「演じること」をしてきた平岩紙さんを見てきた、家族はすぐに納得したといいます。
女優デビューするまでの道のりは?
高校卒業後、地元の大阪府吹田市を離れ上京。
舞台芸術学院に進学
して出会ったのが劇団『大人計画』だったんです。
劇団『大人計画』をみた衝撃がすごく、
「最後まで一瞬たりとも退屈しなかった。しかも、ただ面白いだけじゃない。怖いのに面白かっです。
その怖さが、お芝居とは思えないほどリアルで”役者の人たちは、いったいどんな生活をしているんだろう?”って不思議に思いました。
と、明かしていて舞台女優への憧れが強くなった平岩紙さん。
専門学校を20歳で卒業すると、劇団のオーディションを受けるチャンスに恵まれ最終審査に。
最終審査に残ったのは男女各10名ずつ。
2分半の自己アピールが最終審査の課題で、平岩紙さんは、
目立つ格好をしたのは人見知り対策だったんだそう。
劇団の最終審査で特技を披露する人は少なく、さらには冷え切ったホルンの音が鳴らずに散々な結果に。

落ちると思ったけど、宮藤官九郎さんはゲラゲラ笑ってて結果は合格
劇団『大人計画』には阿部サダヲさんや荒川良々さんをはじめとした、存在自体が個性的な役者が揃っています。
平岩紙さんは、そんな劇団『大人計画』の雰囲気にピッタリあっていたのでしょうね。
『ファブリーズ』のCMで松岡修造さんの妻を演じてお茶の間の知名度がアップした平岩紙さん。
日テレ系ドラマ『ホットスポット』でのコミカルな演技も話題になりましたよね。
まとめ
平岩紙さんの生い立ちをまとめると、
・小学生の頃から即興劇を楽しんでいた
・一人の世界観があったので、女子で群れることが少なく仲間はずれにされたこともあった
・女優の道に進むことを決めたのは高校3年生の三者面談の前日
ということがわかりました。
これからも女優の活躍が期待される平岩紙さんに注目して応援していきましょう!