中野たむは元アイドル!プロレスラーはいつから?大仁田厚の継承者!?

中野たむは元アイドル!プロレスラーはいつから?大仁田厚の継承者!?

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中野たむさんは自称『宇宙一カワイイアイドルレスラー』としてプロレス界を盛り上げる女子レスラーの一人です。

実は、中野たむさんはレスラーになる前に地下アイドルとして活躍していた時期があったんです。

この記事では中野たむさんのアイドル時代をはじめとした経歴について調査してお伝えしていきましょう!

目次

中野たむは元地下アイドル

女子プロレスラーになる前は地下アイドル「カタモミ女子」のリーダーだった中野たむさん。

アイドル当時は田内友里愛として活動、ユニット名通り「肩揉み」してファンとコミュニケーションをとっていました。

コーヒー赤

肩揉みの店で接客してファンを獲得する「店舗型アイドル」で毎日12時から22時まで出勤していたんですって!

実際は肩揉みしないでお話しすることが多かったんだそう。

アイドルの頃の可愛い中野たむさんの画像がこちら↓

Xより

2012年に結成され、2016年に解散した「カタモミ女子」の活動について中野たむさんは

アイドルグループとして将来性が見えなくて「一言で言えば地獄」

語っています。

新たにアイドルグループ結成

「カタモミ女子」を解散してから、辞めたメンバーと新たなユニット「info.m@te」(インフォメイト)を結成。

衣装やチラシ作り、CDパッケージデザインなどもセルフプロデュース

たくさんの仕事を抱え込みすぎて結局1年も経たずに解散しています。

では、中野たむさんがアイドルになったきっかけは何だったのでしょうか?

中学まではバレエ漬け

中野たむさんは3歳のころからバレエ三昧の日々を送っていました。

学校から帰ったらバレエのレッスンの日々で友達と遊ぶ時間もなかったんだそうよ

高校に入るとバレエを辞め、目標を見失った中野たむさん。

やる気のない日々を過ごした挙句「舞台に立ちたい」と思うようになったんだそう。

高校卒業後はミュージカルの世界へ

高校卒業するとミュージカルの専門学校に入学するために上京した中野たむさん。

2年間の専門学校生活を終えて、ミュージカルツアーで全国ツアーにまわっていたんだそう。

歌って踊るツアーに参加していた時にスカウトされて「カタモミ女子」の初期メンバーになったんです。

『ミュージカルの舞台では得られないお客さんの反応に喜び』を感じてミュージカルの世界からアイドルへと転向した中野たむさん。

前述した通りアイドル活動はうまくいかず、5年程度で2度の解散を経験しています。

中野たむがアイドルからプロレスラーになった理由は?

中野たむさんがプロレスラーになったのは、望んだことではなかったんだそうです。

その当時の様子をこう明かしています。

ちょっと練習を見に行っただけなのに、代表から、今日からたぶん練習生になるから、と紹介されてしまって。練習はマット運動とかするんですけど、バレエとかダンスの延長のようで楽しかった」

と、思いがけずプロレスの世界に足を踏み入れた形だったんですね。

コーヒー

練習を見に行った2ヶ月後にデビューしたんですって!プロレスの世界ってデビューが早いのね。

大仁田厚の継承者って本当?

リングデビューが早かった中野たむさんは、バレエ経験者でしたが運動神経が良かったわけではありません

ですがFMWに参加すると、大仁田厚さんに認められて「大仁田厚最後の継承者」と呼ばれてタッグを組んでプロデュース興行を開催したことも。

大仁田厚さんから教わった「リングは生き様を見せる場所」という言葉が、中野たむさんのリング人生に大きな影響を与えているのでしょう。

真正面からぶつかり合うプロレスの世界が好きなんですって

まとめ

中野たむさんの元アイドル時代をまとめると、

・店舗型アイドル「カタモミ女子」のリーダー
・活動期間は2012-2016
・ライブ活動よりも店舗でファンと交流することのほうが多かった

ということがわかりました。

人気女子レスラーの中野たむさんの今後の活躍が楽しみですね。

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