【HYDEの生い立ち】根暗で友達がいなかった!音楽はいつから?

【HYDEの生い立ち】根暗で友達がいなかった!音楽はいつから?

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日本を代表するロックバンド「L’Arc~en~Ciel」のボーカリストとして知られるHYDEさん。

HYDEさんの神秘的なビジュアルと圧倒的なカリスマ性は、ファンを魅了し続けてきましたが、HYDEさんがどのような道のりを経て現在の地位にたどり着いたのか、ご存知ですか?

本記事では、HYDEの生い立ちや家族構成、音楽を始めたきっかけ、そしてL’Arc〜en〜Ciel結成までのストーリーを紐解いてみたいと思います。

目次

【生い立ち】HYDEの少年時代は根暗!

少年時代のHYDEさん。
「根暗」だったとの噂は本当なのか?少年時代について詳しく見ていきましょう。

HYDEのプロフィールと家族構成

本名:寶井秀人(たからい ひでと)
誕生日:1969年1月29日
出身地:和歌山県和歌山市
血液型:O型
年齢:55歳
身長:161cm

HYDEさんは、ご両親との3人家族で育ちました。

ご両親は和歌山市で喫茶店「アップル」を営んでおり、HYDEさんのやりたいことをいつも尊重してくれる存在だったそうです。

家族については「プライバシーを守りたい」というポリシーがあるようで、情報は少ないようです。

家族を大切にするHYDEさんの姿勢からも、家族への深い愛情が感じられますね。

「根暗」と噂される少年時代

小学生時代のHYDEさんは、内向的な性格で友達も少なく、一人で過ごすことが多かったそうです。

いじめられることもあったHYDEさんは、アニメや漫画の世界に夢中になり、自分の居場所を見つけていきます。

好きな作品は、

「ルパン三世 カリオストロの城」(宮崎駿監督)
「うる星やつら」(高橋留美子)

これらの作品に影響を受け、小学生の頃からアニメーターを目指すようになりました。

そして、6年生のときにできた友人や、熱心な担任の先生との出会いHYDEさんの人生に大きな変化をもたらします。

その先生は一生懸命で、一緒に泣いたり笑ったり、時には叱ってくれる素敵な人だそうで、今でも交流があり、素敵な関係が続いているそうです。

中学時代には、自作の漫画を「週刊少年サンデー」に投稿するなど、創作活動にも積極的でした。

後年HYDEさんは、感銘を受けた言葉としてこのように語っています。

YOSHIKIさんがよく言う『過去は変えられる』って言葉。僕も昔からそう思っていましたね。今と未来によって、過去は変えられるんです。
どんなに辛いことがあっても、後になって、『ああ、これを得るためにあのことがあったのか』と思えたら、辛かった過去も、よかったと思えるようになる。

最後が幸せなら、関わった人すべてに感謝できる。だから未来によって、過去は変わるんです。

どんなに辛いことがあっても、最後に笑って死ねれば、それは“勝ち逃げ”ですよ(笑)。

引用元:https://www.vivi.tv/post27341/

調べてみると、HYDEさんの性格は、「根暗」ではなく、内向的でありながらも創造性や情熱、そして人間関係を大切にする豊かな人格の持ち主ではないでしょうか。

【生い立ち】HYDEが音楽を始めたのはいつ?

引用元:https://www.barks.jp/news/?id=1000251814

約5年ぶりとなるHYDEのニューアルバム、その名も『HYDE [INSIDE]』が完成。
日本を代表するボーカリストHYDEさんが音楽への道を歩み始めたきっかけはなんだったのでしょうか?

音楽活動を始めたきっかけ

アニメーターを目指して高校を中退し、大阪のなんばデザイナー学院に進学したHYDEさん。

しかし、在学中に色弱であることが判明し、夢を諦めざるを得ない状況に陥ります。

この出来事は彼にとって大きな転機となり、新たな道を探し始めるきっかけとなりました。

そんな中、友人たちの影響でギターを手に取り、音楽の世界に足を踏み入れることに。

音楽を通じて自己表現する喜びを知ったHYDEさんは、新たな情熱を見出し、音楽にのめり込んでいきます。

そして20歳になった頃に、母親から

「将来、本当にミュージシャンになりたいんだったら、今すぐやれ。お金を貯めてとか、そうやってどんどん時期を逃すな」

引用元:https://ja.m.wikipedia.org/wiki/Hyde

と言われ、バイトを辞め母親にお金を借りて、音楽の道に進むため大阪に出ることを決意したそうです。

バンド活動とL’Arc〜en〜Ciel結成

引用元:https://utaten.com/specialArticle/index/4014

最初はサポートギタリストとして活動していたHYDEさんですが、次第に

「ボーカルの方が自分に合っている」と感じるようになります。

1990年にはバンド「Jerusalem’s Rod」を結成し、ボーカリストとしての才能を開花させていきます。

後年HYDEさんは、

「歌ってみるとすごい自分に合っているのがわかって、フィットした感じがした」
「それからはギターはもう、作曲のためにしか使わなくなった」
引用元:https://ja.m.wikipedia.org/wiki/Hyde

と、転身したころを振り返り語っています。

そして、運命的な出会いが訪れます。

L’Arc〜en〜Cielのリーダーでありベーシストのtetsuyaさんが、HYDEさんの才能に惚れ込み、バンドに誘ったのです。

最初は断ったものの、tetsuyaさんの熱意に心を動かされ、Jerusalem’s Rodを解散

新たにL’Arc〜en〜Cielを結成し、1994年7月1日、ビデオシングル「眠りによせて」でメジャーデビューを果たしました。

引用元:https://utaten.com/specialArticle/index/4014

カリスマ性あふれるHYDEさんと個性的なメンバーたちによって、瞬く間に日本を代表するロックバンドへと成長しました。

彼らの音楽は時代を超え、世代を問わず多くのファンを惹きつけ続けています。

まとめ

HYDEさんの生い立ちや少年時代のエピソードは、HYDEさんの独特な感性や人柄を理解するうえでとても大切な要素です。

一人の内向的な少年が、さまざまな出会いや経験を通じて、自分の居場所と情熱を見つけ、ロックスターへと成長していく—そのストーリーは、多くの人の心に響くのではないでしょうか。

これからも進化し続けるHYDEさん。彼のこれからの活躍を、一緒に応援していきましょう。

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